とまり木かふぇブログ

子どもたちとの関わり。授かれなかった私たちにできること

世間の目に対する強さを下さい

2019年11月1(金)

未だ、子なしの不妊治療中の身で、

街中を歩く度に、遭遇する、

生きづらさ。というか、ちょっと愚痴。

 

みんな通る道なのかな。

世の中、私くらいの年代の人間を見ると、

お子さまがいるだろうという前提で話かけられたりする。

車を買い替えようと、見に行った時。

展示してある車を見ていると、

私「後ろ、広いんですね~」

営業員「ええ、そうなんですよ。お子さんの

自転車なんかも積めますよ。」

私「はぁ・・・」

 

ここで、喜ぶとでも思ったんだろな。

 

また、ある時は、ショッピングモールの中、

着物屋の前を通りかかった時。

お店の前で

「アンケートに答えてくれませんか?」

と声をかけられ、

私「いいですよ。何ですか?」

と、言うと、

こちらのアンケートにお答え頂いたら、

全員にこの巾着袋をプレゼントしております。

ご住所に送らせていただきます。

 

っていう。

そしてアンケートを読み上げ始めた。

 

スタッフ「着物を最近来たのはいつですか?」

私「友人の結婚式かな。」

スタッフ「お着物は自分で着られますか?」

私「いいえ」

スタッフ「自分で着られるようになりたいですか?」

私「まぁ、はい」

スタッフ「着られるようになったらどんなシーンで着てみたいですか?」

ここで、選択肢が、なぜか、これしかない。

・お子さまの入学式など

・お茶会

・普段着

 

私「ん?お茶会、普段着はないから、、、」

スタッフ「では、お子さまの入学式ですかね?」

私「はぁ・・・いれば。」

スタッフ「え?あ、、、あ~そうなんですね」

 

「あの、巾着袋をお送りしますから、💦

じゅ、住所を、、、ここに。」

 

って書かされたが、巾着袋は送られることはなかった😓

 

狙った層なんだろうけど、

お子さまありきの残念なアンケート。

 

他にも、いろいろあります。

義父のことを「お父さん」と呼んでいます。

世間の目から見るとお子さまから見た呼び方が

主流。

だけど私には子どもはいないから、

「おじいちゃん」とは、言えない。

 

スーパーへも義父と一緒に買い物に行くので、

ある日、近所さんから勘違いを受けた。

 

とあるスーパーで、義父が声をかけられた。

そして私が誰なのかと聞かれたので、義父は、

「息子のお嫁さんです。」と紹介してくれた。

そしたら、お相手が、

「え?あなたの奥様かと思ってましたよ。

だって、お父さんって呼んでいらしたから。

勘違いしてたわ~若いお嫁さんもらったんだなぁと思ってたわ~」

 

84にもなる義父と、43の私が夫婦!?

 

こんな変な出来事もあるんです。

ありえへん世界。

 

私くらいの世代は、お子さまが

いるだろうという、こうした世間の目を

感じる度に、

その当たり前ができてない

自分って、マイノリティなんだなぁと自覚してしまう。

 

 

最近は、あきらめ半分ありつつ、

絶対にきっぱりあきらめます!

とは未だ宣言できない自分もいる。

未だ続ける。と決めるのも、

もう治療を辞めると決めるのも、

難しい。

 

もう少し、

暗い気持ちも

めげてる自分も

 

いいんだよって、

自分で受け止められるように

なりたいなぁ。

 

いろんな場面があるけど、

それがなんぼのもんじゃい!って

思える強さがほしいな。

 

 

 

 

 

 

治療し始めの頃の日記

2019年10月30日

 

ステージが、それぞれ違えど、目的は同じ。

「子供が欲しい。」

 

ただそれだけ。

 

想いは一つ!

なんだけど、、、

 

Twitterを覗くと、色んな方がいる。

 

男性不妊、採卵ができない、不育症、

低AMH、着床障害。

 

私は、原因不明。詳しく調べた訳では無いけれど、採卵も普通にできるし、これまで5回移植し1度だけ着床まではできたこともある。

年齢によるものとしか医者は言わない。

 

主人と知り合ったのが遅かったから、

と責められても

だからといって、他の誰でもなく

主人じゃなきゃだめでしたから。

 

 

私とひと回りも歳が離れた主人は、

私ほどの必死さはなくて。

是が非でも子供が欲しい!というよりは、

2人で生きて行く人生もあり。と言う。

 

昔、ブログにしようと思い始めの頃

書いていたメモが見つかった。

これは、最初の不妊治療で門を叩いた総合病院の時のだ。

体外受精の2個目の凍結胚を戻し陰性だった時2017年10月12日のもの。

実は、この治療の前には、子宮筋腫摘出手術で入院もしていて、きれいな子宮で臨んだ大事な大事な一手だった。

 

「2017年10月12日

今日は、判定日。
朝から顔には出さずとも緊張しっぱなし。
ずっと高温期を保ってるし、

普段から基礎体温は低めなのに、

37度になった日もあった。
なんとなく、いけるんじゃないかな。

なんて思って、頭の中では、先生が、『陽性ですね。良かった。良かった。』と、

冷静沈着なおめでとうを言ってくれてる。

それに、嬉し泣きをする私。

旦那と顔を見合わせて、うふふ。どうだ!

なんでやりとりまで想像してた。

今度ある女子会でも、『発表でーす。』って言えたらなぁ。

英会話の友達にも、『できたよー』ってメールしよ。

家族にも、『実はおばあちゃんの

お葬式サボってまで、行けなかったのは、

このせいで気が気じゃなかったからなのさーって。』って言おう。

そんな想像をしてた。

採血と、採尿を済ませて、
病院二階の産婦人科の第1待合室で、

最初は、旦那といつものようにばかを言ったりたわいもないおしゃべりしながらいた。
次の第2待合室になってからは、

もう、緊張で、緊張で、

ずっとお守り握りしめながら

なんかそわそわそわそわしてた。

いつもここへくると、周りの患者は妊婦さんばかりが目について、不妊で戦ってるのは、

私ぐらいなのかなぁ。

みんな、ちゃんと子を授かってふつうに産むんじゃろな。

孤独やなぁ。って感じるのに、

今日は、左には酸素ボンベを背負って

待つ痩せた人。

右には、目深にキャップをかぶった

年老いた女性。

私なんかより、命に関わる人が目立つなぁ。

私なんて、贅沢で座ってるんだなぁ。

って思いながらいたら

もうすぐだっていうのに、

もよおしてくるし。

いつ呼ばれるかもわからないから、

豪速球でトイレをすまし、戻る。
そしたら、今度は、『俺もトイレしたい。』

って旦那が言い出す。

えっ?呼ばれたらどーすんだよ?

一緒に聞いて欲しいなぁ。

って言って、旦那にも慌てさせた。

そういえば、さっき来るなり、

産婦人科までの上りのエスカレーターで、

私はいける!と、

思ってんのに、

『まぁ、そんな簡単ではないよ。

ダメかもしれんってつもりでいかんにゃ。

はっはっはっ。』

なんて、口にするから、

口にしたことって、

本当になっちゃうことってあるじゃん。

言霊の力っての?
『もう!ばか!それ以上しゃべるなぁ!

口にしたら、そうなるじゃん!』

って怒った。
たまーに、旦那はちょっと

喋りすぎるところがあって。

いいことも悪いこともぜーんぶ

口にだしちゃう。いっつもそう。
期待しすぎるとショックもまた大きいからそう言ったのはわかるけど、、、

今じゃないでしょ!

さて、診察の順番が回ってきた!
診察室のドアをノックして、

『お願いします。主人も連れてきました。』
『あー、はいはい。どうぞ。』

と、もう一つ椅子をだしてくれた。
先生は、いつも言葉数が少なくて、

一言二言で、診察が終わっちゃって、

毎回情報が少なすぎていろんなことが

不安なままになることが多いんだけど、

帰ってから、

ネットの住人になってGoogle先生

よくお世話になるくらい。
旦那を連れて行くと、

いつもより少しは丁寧な説明になる。

先生『うーん。陰性なんだわー。

尿が。血液もね、、、ダメなんだわー。

どっちも、ダメってことやから、

ダメなもんはだめなんやわー、、、』


『あー、、、、そう、ですか、、、』
しばらく無言になってしまった。

なんか、頭の中が真っ白になって、

自分しっかり!とか思ってるうちに、

先生が、『次の診察で、

膠原病の一種であるなんとかっていう

検査をしましょ。

次のたまごを戻す前に、ね。
原因になってないか調べましょう。

ま、何千人に1人とかだから、

ないとは思うよ。』

って私が青ざめて行くのをみて、

フォローっぽくなってるし、口調が。
もう、『あ、はい。』しか言えない。

なに?私、また、わけのわからない

病気持ってるんか?

これまでも、甲状腺ホルモンの値が

良くないからチラージン飲んでね。

とか、不妊治療しなかったら、

わからなかったことが私にはあるから。

高原病?(この時は、

膠原を高原だと本気で思ってた。笑)

ってなによ?

そしたら溜まってた感情が一気に吹き出して、涙が堪え切れなくて泣きながら、

『あ、ありがどゔございまじだ、、、』

って嗚咽で言葉にならない

挨拶をして診察室を出た。

待合室を通り過ぎる間、

泣いて泣いて泣いて、

人気のない廊下にでて、

ベンチに座って泣きじゃくった。
『悔しい、、、』
『こんなに頑張ってきたのに、』
不妊にいいって言われたことは全部やった。
ビタミンEも、葉酸も、梅も、Lカルニチンも。坐剤や、エストラーナテープだって、、
そのために、お腹開腹してまで、

子宮筋腫とったし、
体を温める努力もした。でも、、、
神様は私には子を授けてくれないんだ、、、
私には、来てくれないんだ、、、

ずっと泣いた。

旦那が横にいて

そうだね。そうだね。

って聞いていてくれた。

泣いたら、なんか、

やけくそな気分になっちゃって、

お肉!お肉が食べたい!ステーキよ!

サイコロステーキ!
今日は、意識してやめてた、コーヒーや、お酒、飲んでやる!って。

ステーキ贅へ連れて行ってもらった。
そのあとは、スターバックスに。
ついでにスターバックス

近くに先週たまたま見つけた

シフォンケーキのお店

パティスリーじゅんへ。

ケーキ3つ。

ほんま、感情に正直なほどやけくそ、、、笑


でもね、改めて、旦那と、結婚してよかったな。って、思った。

ステーキ贅で、会話してたとき、
『お前も、俺も、おんなじやな。

って思ったことがある。

お前、病院でさっき泣きながら、

なんて言ったと思う?
「悔しい、、、」って言ったんだよ?
「悲しい。ではなく、悔しいって。」
これってさ、ただ、

できなかったからえーん、

悲しいよぅ。って甘えた感じではなくてさ、

一生懸命に向き合って取り組んで、

その自負があって、

それが結果につながらなかったから、

悔しい。なんだよな。
俺もそうだから、、、
そういうお前の感情が好きだな。』

って。

なるほどね。悔しい、、
って、そうかもね。

『今回できなかったのは、

お前も、誰も悪くないんだよ。

運なんだから。

できてもできなくても、

俺は、お前のその中身に惚れて結婚したんやから。

できたら、嬉しい。

できなくても、そういう人生もある。

選択肢は一つじゃない。

また一つ経験したじゃんか。

知らなかった世界を知った。

それは、同じように困ってる人の

気持ちがわかるようにもなったわけで、

経験値がまた増えたじゃん。

例えばだよ?

そういうカウンセラーに

なったとしたら専門家だよ。

すごく信頼されるわな。』

うん。うん。そうだよね。

産めない嫁で、申し訳ない。
昔だったら、嫁、失格って感じやん。
遺伝子レベルで弱っちい人間でごめん。
なんで、もういらないって思ってる夫婦には

できて、ほしいところには、来ないの?
って泣きじゃくる私に、

こう言ってくれた。

旦那ちゃん、いい男だねぇ。
アドバイスは的確だし、

言ってほしいことを言ってくれるよね。」

 

ここまでがメモ。

今読み返しても、泣けてくる、、、😭

 

 

 

前向きな気持ちになるには

5年の不妊治療生活で、

静かにひっそりと自営の仕事だけを手伝い過ごしてきた私。

5回の移植で授からず、

いっとき激しく落ち込んだ。

出口の見えない暗~いトンネルにいるような。何もこの先、いいことなんてないとすら思った。今も、不安は尽きない。

 

最近はようやく半分は、(←未だ半分)ふっきれた気持ちになり、外に出ていき、知り合いをたくさん増やし、世代を超えていろいろな方とお付き合いをし始めた。

 

外へ出ていくと、本当にいろんな方がいらっしゃる。

 

私は、不妊治療をしていて、まだ子なしということは、タブーと思って口にはしていない。

 

ただ、ふと、何人か仲良くしてくださる中で、

先日もこんなことがあった。

私と、Kさんという50代の方が、とある打ち合わせ後の駐車場。

Kさんは、色んなところでセミナーをやったり裏方もやったりとご活躍で柔らかい雰囲気の中に、芯の見える女性。

 

Kさん「せっかくお知り合いになれたんだし、

お茶でもランチでもしたいわねぇ」

私「あら、でも、Tさんは、お子さんいらっしゃるから、なかなか出てこれないかしら?」

Kさん「あ~、学校に行っている時なら大丈夫よね?きっと。」

私「あ~そうだわね。ところで、Kさんあなたは?」

Kさん「私は、いないのいないの。だから、自由よ!」

 

私「あ~、そうなんですね!私もです。

自由~自由~💕うふふ~」

 

 

って、Kさんを真似てそう返した。

 

そうか「自由!」か!

 

私の心が一気に晴れた気がした。

 

子なしを、卑下したりしなくていいのかもしれない。重々しく言う必要もないんだ。

 

言い方一つで、こんなにも感じ方が違うんだ。明るくさらっと、言うKさんが、素敵に見えた。

 

ふと、頭には、尾崎豊の歌がよぎった。

僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない。

正しいものは何なのか

それがこの胸に解るまで

君は街にのまれて

少し心許しながら

この冷たい街の風に歌い続けてる~」

 

 

子なしからみた子育てママ

またも、妊活友のYちゃんからLINEが。

前回とは別のお隣の県にお住いの子育て中のママの友人が会いに来ると言って

日時を約束していたようで、

「あ、その日は、やっぱり会えないわ。

子どもがいる日になっちゃったから。

子育ては大変なんだ~」と言われたそうだ。

有給をとっていたYちゃんは、がっかりしたようだ。それで、私にLINEをしてきた。

「ねぇ、聞いて~。

子育て子育てって、大変なのも分かるけど、

なんだかがっかり。」と。

 

私は、と言えばここ1ヶ月、ふっきれたつもりでいたから、

用事を作って、いろんな人に会いまくって

充実して、意外と多忙に過ごしている。

治療のことを考えている余裕がないほど。

だから、Yちゃんが、悩んでいることは、

すごく小さいと思ってしまった。

会えないような人に関わって

わざわざ、心折れに行く必要がない。

そんな時間がもったいないし、

仮に、こちらから会いに行ったとしても、その方は、心ここにあらず。でしょうから

より残念な気持ちになるだけ。

だったら、私に会いたいと

言ってくれる人に会おうと思う。

 

ちょうど私たち世代は、大半が子育て真っ最中。

狭い世界で生きていると、私たちは、

本当に生きづらい。

子育てママ子育てママ。って、

一種の呪文のようについてまわる。

子なしは、おいてきぼり。

SNSを見れば話題は

子育て。

そりゃあ、疎外感は、半端ないよ。

 

私から見た、子育てママは、

批判覚悟で言わせてもらうと

余裕をなくしている。

赤ちゃんを抱いていれば、守られて当然だし、

私は、毎日大変なのよ!というのを全面に出してアピールしてくる。

世の中が子育てママは応援されるべき

という風潮なのだから、

そうなっても当然なのだろうね。

確かに、毎日毎日、わんぎゃん泣かれたり、出かけるのも一苦労なんでしょう。

自分にケアなどする時間もないのでしょう。

だけど、心理学者のアドラーの言葉を借りるとすると「すべては自分の選択の結果」

なのであり、

「あなたはその道を選んだ」わけだから。

それが、ずっと続くわけでもない。

そのあと、何年かすれば、その子が成長していく楽しみもある。

 

 

私たちにはそれがない。

あったはずの幸せが待っていない。

 

だから、お互いが、一歩ひいて相手の立場に立って俯瞰し、

子なし、子ありに関わらず

かしこく付き合っていいけたら、

どれほどいいだろう。と思う。

 

最近は、子連れOKですよという、

飲食店も増えた。

年賀状が、来れば、子どもの写真。

抱っこしていれば、

みんなが、かわいいかわいいと、

あやしてくれる。

 

だけど、

「私は、あなたと話がしたい。

あなたの近況が知りたい。」

ということを、言いたいのだ。

私らしく生きる

今週、突然妊活友のYちゃんからLINEが。

 

「ねぇ、聞いて~。

子育て中の友達が、

私がわざわざ有給とってまで

会いたいと言ってるのに、

子育てが忙しいって言って

なかなか連絡が来なくて、、、」

「また、こんなことにイライラしてる

自分が嫌になっちゃう」と。

 

私は、もう2年も前に既に、子育て中のママさんとは、

ことごとく疎遠になってるから、

あまり、そういうのに固執してない。

というか、そんな程度で人は簡単に切れちゃう。お互いにね。

ましてや、うちら子なし組は、子育てママさんとは全くステージが違うから

その関係が利害関係のないただ友人。って繋がりだとしたら、全く話題が合わない。

 

Yちゃんには、申し訳ないけど、私は2年も前に

それを感じ、単純に年代が近いというだけの友人は、縁遠くなってるから、

自分は、それでも自分として向き合ってくれる

年上の方や、子育て中でも、

例えば起業ママさんのような

出会う目的が子育て中心というより、

自分らしさにこだわりのある方と、

付き合っていくことに決めた。

 

9月に5回目の胚盤胞移植結果「陰性」を受けてから

「もう、前を向いて歩こう。」

と、

気持ちベクトルをギュインとねじ曲げて

まっすぐに前に向けたところ。

子供がいなくても私が私らしく生きて何が悪い!と、思い始めたところ。

 

どこかの投稿でみた。

「ネガティブの反対は、ポジティブではなく、没頭。」

 

納得!

 

不妊治療のために仕事やなんやをセーブしてきた5年間。

正直、暇を持て余すとろくな事がなくて。

余計に考えちゃう。どうしたら良いのだろう。

何をしたら授かるのか。

風水?ざくろの絵?サプリメント

お祓い?子宝湯?ザクロジュース?

体を温めるお茶?ホットヨガ

くつ下重ねばき?

こうして

不妊治療費用以外にも

どんどんこんな荒業みたいなものに、

お金をつぎ込んでいくはめに。

 

ぜーんぶやりました。

一切、叶いませんでした。

 

今は、やりたかったことをやる。どんどん予定入れたり、人と会ったり、動いて動いて、

何か人生の醍醐味を探し歩いてる。

動きだしたらあっという間に、たった1ヶ月でいろんな方とお知り合いになれて、エンジン全開!

とまり木を1人の「個」として見てくれる出会いがあるようになりました。

 

「あ~、5年間、大人しくしすぎたなぁ」と思ってます。

 

だから、Yちゃんに言った。

 

「その友達には固執しなくていいよ。

あと10年もすれば、子育てが終わって、

同じステージになる。

その時、またご縁があれば、

会えるんじゃない?」

 

そう言って自分にもいい聞かせてる。

人生100年時代。まだまだある。

もう43歳だけど、あと40年、いや、50年は。

 

なんだってできる。

楽しくするのは自分次第なのかな。

不妊治療休憩だなこりゃ

最近の、心の中を記しておこう。

 

なんか、もういいっか。が、ここ一週間ほどの気持ち。

 

 

 

検索。「43歳で自然妊娠する確率」

ポチ。

 

10%、、、、

 

 

はぁぁぁとため息。

 

さらに、45歳になったら、5%か、、、

き、厳しい!

 

晩婚だったから、

最初から体外受精

でスタート。ここまでで3年3ヶ月。

途中、子宮筋腫を切除する入院手術も

あったし、甲状腺ホルモンの値が原因かも。

ってことで、チラージンを服用するため3ヶ月ほど治療ストップしたり、

 

これらは、妊娠を望まなければ必要のない

こと。

 

総合病院から体外受精専門院へ

転院する際も、予約でいっぱいだと言われ、

3ヶ月ほど待機があったり、

次々と、できるもんでもなく早3年。

 

採卵はこれまで2回。

1回目卵子が3個とれ、2回目は2個。

うち、ラストの1個は胚盤胞までいき、

 

ぜーんぶ陰性。いまここ。

 

次の周期で、また、採卵を

お願いしたらしたなんだけど。

病院は、断らないからね。

いつでもいらして。と言う。

 

ただし、県からの助成金も、

市からの助成金も、3回頂いて、

打ち切りになった。

 

もう、1円もいただけない状況で。

 

統計的に突きつけられた現実。

 

「あなたには、助成金など

あげる価値もないですよ。」と

言われてるようなもん。

「お前はもう死んでいる」ってことか。

ズキューンって頭を

打ちのめされたような気分。

 

 

遅すぎた結婚。

後悔してるかと言われたら、

 

否。今の旦那様じゃなきゃイヤだし

今の旦那様と知り合ったから結婚を

考えたわけで。

タイミングもあったし。

人生のターニングポイントじゃないけど、

一般的な人生設計、

20代で結婚して、子供を持ち、

家を持ち、出世し、、、みたいな

 

そんなに、みんながみんな、

絵に書いたように

人生上手く生きてないよ。

 

あれがあって、これがあって、今の旦那様と

知り合ったのだから。

一般的に見て遅かったと言われれば、

否定できない。でも、現実は、今もなお、

刻一刻と時を刻んでいる。

それが、事実。

 

 

小田和正さんの歌にある、

♪あの日あの時あの場所で

君に会えなかったら、

僕らはいつまでも

見知らぬ2人の

まま~♪

 

なんですよ。

 

 

だから、「今を、どう生きるか?」

しかないじゃんね。

だって、

過去も未来も変えられないんだもんね。

 

 

周り中が子育て真っ最中の世代。

歳が近い友人たちとは、

話題が合わなさ過ぎて、

会うのが億劫になって誘ったり誘われたり

しなくなって、疎遠になり、

毎年毎年子供自慢の年賀状を見るのが

辛い。

(知りたいのは君の近況であって、

君のお子様の顔ではないのさ!)

 

甥っ子姪っ子が、お盆や正月にきて、

成長を目の当たりにする時、

 

あ~楽しいだろうなと。

こういうの幸せだろうな。と。

 

街中で、小ちゃい子供が

こちらを見て天使のように

にこぉぉっっと

ほほえんでくる、、、

きゃ、きゃわえぇ😍ってなる。

し、嫌にもなる。

私にもあったかもしれない未来が、

来ないんだからね。

 

 

 

悔しい想いはいっぱいだけどね。

 

たぶん、なにか、わたしだからできること、

わたしにしかできないことがあるかも。

そういう使命とか、なんていうか、

それを探す旅にでようかな。って。

 

実は、日々、気持ちは変わる。ブレる。

ホンマに諦めるんか?

病院変えたらいいんかいな。

まだ試してない、方法もあるじゃん?

とか、、、

だけど、

今日現在の気持ちを記しておこうと思った。

不妊治療BT13判定日

本日、判定日。

 

6日目の4BB胚盤胞を8月20日に移植してから、

2週間。

長かった~

 

普通に過ごしてください。

っていうけど、普通って何よ?

咳をしたらやばいのか、くしゃみすごい連発したけど?

ホットヨガに行ってもよいのか、腹筋や、スクワットは?

ホッカイロで温めたり、ウォーキングもした。

普通って、

人によって違うよなぁと思いながら、

「私なりの普通」を過ごした。

 

BT8辺りまでなんの体調変化もなし。

BT9~は、胸のはり。ペーパーにつく程度の

茶おり。生理痛の様なお腹の痛みが、

一日の中で2、3度、

BT11、12、と今日13は、

これに加え、腰痛が、

ぎっくり腰なみにしんどかった。

 

いろいろな方のブログにお邪魔して、

どうやら、私のこの症状は、

普通にあることのように書かれている方

も多いし大丈夫そう!

と、いい聞かせ、、、

 

フライイングも、BT9あたりから、

毎日やって見ようかなぁ。

どうしようかなぁ。でもなぁ怖いなと、迷い。

結局、昨日の夜も、トイレに検査薬を持ってまで行ったが、

やはり、チキンな私には、1度もできず。

 

当日の今日まで結果を知る勇気が、なかった。

ここの病院は、朝起きた時、自分で採尿し、持っていく方式だったので、ついでにできるチャンスもあった。

のに。う~ん。ダメだ。怖い。

ってやめた。

 

株で損切りがなかなかできない心理に似てるような。

 

さて、結果は、、、

陰性でしたぁ。残念😭

 

今回で5回目のチャレンジ。

うち2回は判定日が来る前に、

どばぁっと出血し、

判定日を待たずして、判定されるパターン。

前回の新鮮胚移植の時は、

うっすらと判定窓に線がでた!

 

先生曰く、「着床はしたようですね~

しかし、反応が、これだけ薄いと、

このまま生理がくるかなぁ。

念の為、明日も受診してください。

まれに、HCGが増える方もいますから。」

 

と、あともうちょいでいけたような

奇跡みたいな経験をした。

 

そして、今回。

さすがに、期待したんだけどね。

 

この為に、適度な運動もした。

なるべく体に優しい食事にも気をつけた。

もちろん、タバコなんて吸ってない。

お酒も飲まないし、コーヒー紅茶も避けてきた。

葉酸や、アスタキサンチンビタミンD

ビタミンE、亜鉛などなど治療に良いと噂のサプリメントは、毎日欠かさず飲んだ。

正直これだけでおなかいっぱいになるから

しんどい。

 

寝室ザクロの絵も飾った。

神社にもお参りに。

子宝の湯と言われる、地元の温泉にもつかり、

木村さんをスマホの待ち受けにした。

できることは全部した。これ以上何をやれば

いいのかってくらいにやった。

 

 

けど、陰性。

 

 

受け止めるのには、ちょっと時間がかかるな。

涙も出ない。まだ現実じゃないような気分でいる。

 

 

 

無情にも、毎日3回の、デュファストン と、プレマリンを飲むタイミングを忘れないようにお知らせしてくれるようセットしっぱなしにしていた、

スマホのアラームだけが、寂しく、鳴った。

 

ルルルルル~

 

「もう、飲まなくていいんだ。」

アラームを解除して、

 

「はぁ、頑張ったのになぁ。」

とため息。

 

そういえば、今日の、病院の

オルゴールBGMは、

365日の紙飛行機」だったのが、気になった。

 

明日がんばろぉ~って。

明日じゃ遅いんだよ😭

 

本日の支払い

 

判定のための尿検査

¥3,348-👛